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大勝軒の系譜は1948年の丸長から始まった|東池袋・分裂・店舗系統を完全解説

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「大勝軒」という看板は、東京はもちろん、青森から沖縄まで全国に散らばっています。ところが実際に暖簾をくぐってみると、麺の太さも、つけ汁の甘さも、店の空気も店ごとに違う。同じ屋号なのになぜここまで差が出るのか、疑問に思ったことはないでしょうか。

答えは単純です。大勝軒は一つのチェーンではなく、いくつもの枝分かれを重ねた「系譜」だからです。しかも枝の根元は、つけ麺の生みの親である山岸一雄よりさらに前、1948年(昭和23年)に荻窪で生まれた中華そば店「丸長」までさかのぼります。そして2015年には、系譜そのものが二つの会に割れるという出来事も起きました。

この記事では、丸長から中野大勝軒、東池袋への暖簾分け、のれん会と守る会の分裂までを一本の線でつなぎ、そのうえで今どこへ行けばどの枝の味に出会えるのかを、公式サイトで確認できた店舗情報とともに整理します。系譜がわかると、目の前の一杯が誰から誰へ渡ってきた味なのかまで見えてきます。

📌 この記事でわかること
・大勝軒の系譜の出発点が「丸長」にある理由と、中野・代々木上原・東池袋の関係
・特製もりそばが賄いから商品になるまでの経緯と、味の設計思想
・2015年に起きた「のれん会」と「守る会」の分裂、その見分け方
・直営店・業務提携店・郊外グループ店まで、今行ける店舗の系統別ガイド
目次

大勝軒の系譜は「大勝軒」以前から始まっている

大勝軒の系譜は「大勝軒」以前から始まっているの解説画像

1948年・荻窪の「丸長」がラーメンに魚介を持ち込んだ

大勝軒の物語は、大勝軒という店名が生まれる前から動き出しています。出発点は1948年(昭和23年)に荻窪で開業した中華そば「丸長」。長野出身の日本そば職人・青木勝治氏が義兄弟4人とともに始めた店でした。

この店が画期的だったのは、日本そばの技法をラーメンに持ち込んだ点にあります。お茶の水、大勝軒の公式サイトは「日本で初めてスープにかつお節などの魚介系の食材を使用するなど、それまでのラーメンの主体であった鶏がらベースの『中華系スープ』とは違った画期的なものでした」と説明し、さらに「現在の『醤油ラーメン』のほとんどは『丸長』が原点となって進化したもの」とまで書いています。

つまり、現代の日本人が「懐かしい」と感じるあの醤油ラーメンの香り、鶏がらの奥からふわりと立ちのぼる節の香りは、そば職人がラーメン鍋に出汁の発想を持ち込んだところから始まったわけです。魚介系スープを大勝軒の専売特許のように語る記事は多いのですが、正確には大勝軒が丸長から受け取った遺産と言うべきでしょう。

創業メンバーが独立して「丸信」「栄楽」「栄龍軒」が生まれた

丸長は一店で終わりませんでした。創業メンバーだった職人たちがそれぞれ独立し、時期を前後して「丸信」「栄楽」「栄龍軒」の3店が誕生します。この時点で、すでに枝分かれの構造ができあがっているわけです。

この流れは後に「丸長のれん会」として知られる大きな系統になりますが、重要なのは大勝軒がその枝の一本として生まれたという位置関係です。大勝軒の系譜図を描くとき、頂点に山岸一雄を置いてしまうと一段ずれます。頂点は丸長であり、山岸はその孫の世代にあたります。

創業メンバーの一人、坂口正安氏も戦前は日本そば職人でした。丸長でラーメン職人としての研鑽を積み、その後「栄楽」で働いていた時期に、弟のようにかわいがっていた親戚の子──山岸一雄を誘って独立を目指します。系譜という言葉が単なる系統図ではなく、人と人の縁の記録であることがよくわかる部分です。

1951年、中野に「大きく軒並みに勝る」店ができた

坂口氏は山岸を栄楽で修行させたのち、1951年(昭和26年)に中野で店を開きます。店名の由来は「大きく軒並みに勝る」という願い。この中野の店こそが、全国に広がる大勝軒すべての発祥地です。

山岸一雄の側から見ると、この時期の動きは急でした。1934年4月28日に長野県中野市で生まれ、1950年に上京して旋盤工として働き始めたものの、翌1951年4月にはラーメン店での修業を開始。旋盤を握っていた青年が、わずか1年でラーメンの世界に飛び込んでいるわけです。

誤解されやすいのですが、東京・中野の「中野大勝軒」と、山岸の出身地である長野県「中野市」は無関係です。地名の一致は偶然で、店名も地名から取られたものではありません。系譜を語るときに混同されがちな点なので、覚えておくと通ぶれます。

代々木上原が本店で中野が支店、という逆転が起きた

中野大勝軒は地元客の支持を集めて売上を伸ばし、1954年(昭和29年)に坂口氏は代々木上原へ2軒目を出します。ここで面白い逆転が起きます。新しく出した代々木上原を「本店」とし、発祥の地である中野を「支店」として、山岸一雄が店長を任されたのです。

この配置が、のちの系譜のねじれを生みました。山岸が独立して東池袋を開いたとき、彼の立場は「本店の店主」ではなく「支店の店長から暖簾分けを受けた人」でした。だからこそ東池袋大勝軒は、坂口系の大勝軒とは別の枝として育っていきます。

この時期の中野大勝軒では、ラーメン以外の名物も生まれています。公式サイトによれば大勝軒のカレーは1954年(昭和29年)に誕生し、当時中野大勝軒の店長だった山岸が、幼少期に食べた海軍カレーの記憶をもとにレシピを組み立てたもの。今もお茶の水、大勝軒で提供が続く一皿です。

📅 大勝軒の系譜・年表
  • 1948年(昭和23年):荻窪に中華そば「丸長」開業。魚介系スープの原点
  • 1951年(昭和26年):坂口正安氏が中野に「大勝軒」を開業
  • 1954年(昭和29年):代々木上原に2軒目。中野は支店となり山岸一雄が店長に
  • 1955年(昭和30年)4月:「特製もりそば」がメニュー化。つけ麺の商品化の始まり
  • 1961年(昭和36年)6月6日:山岸が東池袋に暖簾分け1号店を開業
  • 2007年3月:再開発により旧東池袋大勝軒が閉店
  • 2008年1月5日:創業店から約100m先に東池袋大勝軒 本店が再開
  • 2015年:山岸一雄が死去。のれん会から一部が離脱し「守る会」が発足

賄いの一杯が40円のメニューに化けるまで

ざるに残った麺を捨てられなかった時代が生んだ

つけ麺の原型は、商品ではなく賄いでした。舞台は栄楽での修業時代。冷たい麺を、温かいスープで割った醤油だれにつけて食べる「つけそば」が、まかないとして存在していたのです。

背景にあるのは戦後の食料難です。小麦粉そのものが貴重だった時代、ざるに残った麺を捨てることなどできませんでした。なんとかおいしく食べようと、丸長の創業者・青木勝治氏が「ざるそば気分で」考案したとされています。つけ麺の発想の源流もまた、丸長にさかのぼるわけです。

山岸一雄が17歳で勤めた修業店では、残った麺を湯のみ茶碗に入れたスープと醤油に浸して食べていたという記録も残っています。厨房の隅で、湯気の立つ湯のみに冷えた麺を沈める──今の濃厚魚介つけ麺からは想像しにくい、素朴な光景から始まった料理でした。

常連の「俺たちにも食わせてよ」が商品化の引き金になった

転機は客の一言でした。山岸が厨房の陰でいつものように賄いのつけそばを食べていたところ、常連客から「うまそうじゃないの。おれたちにも食わせてよ」と声をかけられます。試しに何人かに出してみたところ評判が良く、商品化への研究が始まりました。

ここで注目したいのが、兄貴分だった坂口氏が反対していたという事実です。公式サイトには、代々木上原店の坂口氏に反対されながらも、「いかにして美味しいものをつくってお客さんに満足してもらうか」を考えていた山岸が反対を押し切った、と記されています。つけ麺は、社内提案を却下されても引かなかった一人の職人の執念から生まれた商品でした。

こうして1955年(昭和30年)4月、「特製もりそば」がメニューに加わります。当時の価格は40円。この一杯が、日本のラーメン史における「つけ麺」の商品化の起点になりました。

「特製もりそば」という名前は信州から来ている

ネーミングにも背景があります。日本そばを「もりそば」と呼ぶ伝統にならい、その中華版という意味で「特製もりそば」と名づけられました。山岸の出身地である長野県の信州そばへの敬意が、そのまま料理名になっているわけです。

この命名は系譜を象徴しています。丸長の青木氏も、坂口氏も、そして山岸も、ルーツをたどれば日本そばの世界と地続きでした。つけ麺とは、そば職人の発想が中華麺の上で花開いた料理だと言えます。ざるそばとつけ麺の食べ方が似ているのは、偶然ではありません。

ちなみに「つけ麺」という名称が一般化するのはずっと後のことで、大勝軒系の店では今も「もりそば」の呼び名を守る店が少なくありません。メニューに「つけ麺」ではなく「もりそば」と書かれていたら、それは系譜への忠誠を示すサインだと考えてよいでしょう。

甘酢の酸味と「あつもり」という食べ方の発明

大勝軒のつけ汁を初めて口にすると、多くの人が甘みと酸味に驚きます。公式サイトはスープを「げんこつ・豚足・鳥をベースにひき肉や魚の風味を加え、すっきりとした旨みと深みのあるコクが組み合わされたスープ」と説明し、そのうえで「決め手は、甘酢のさわやかな酸味」と明言しています。ボリュームがあっても飽きずに食べ切れる仕掛けが、酸味なのです。

もう一つの発明が「あつもり」です。冷水でしめた麺を再び湯にくぐらせ、釜揚げのような熱々の状態で出す食べ方で、麺のコシにしなやかさが加わり、つけ汁も冷めにくくなります。ゆっくり食べたい人向けの選択肢として公式にも案内されています。

ここで一つ、あえて逆張りの視点を挟みます。2000年代中盤から広まった濃厚魚介豚骨系のつけ麺は、自家製極太麺・魚粉・濃厚つけだれを武器に東京近郊で3年以上の長期トレンドとなり、九州や北海道にも波及しました。多くの読者が「つけ麺=あの濃厚な味」と思っていますが、大勝軒系の甘辛醤油は、そのブームの味とは別の設計です。砂糖やみりんで意図的に甘みを加え、酸味は穏やかに抑える。元祖を食べて「思っていたのと違う」と感じるのは、味覚の基準がブーム側で作られているからです。

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🍜 ラーメン通の豆知識
「もりそば」と「つけ麺」を書き分けている店は、系譜への意識が高い店です。さらに「あつもり」の表記があれば、東池袋系の食べ方をそのまま受け継いでいる可能性が高い。メニュー表は、その店がどの枝から来たかを読み取る系譜図でもあります。

山岸一雄はなぜ100人を超える弟子を育てられたのか

山岸一雄はなぜ100人を超える弟子を育てられたのかの解説画像

旋盤工からラーメン職人へ、そして1961年の独立

山岸一雄は1934年4月28日、長野県中野市の生まれ。1950年に上京し、旋盤工として働き始めます。翌1951年4月、いとこの縁でラーメン店での修業に入り、坂口氏のもとで中野大勝軒の立ち上げに加わりました。

そして1961年(昭和36年)6月6日、大勝軒最初の暖簾分けとして東池袋に出店します。開業メンバーは山岸と妻、そして妹の3人。看板メニューとなった特製もりそばが評判を呼び、大勝軒という名前が全国に知られていくきっかけになりました。

「元祖つけ麺の店」という肩書きだけが独り歩きしがちですが、東池袋大勝軒はチェーンの本部ではなく、暖簾分け1号店という立場でスタートしています。この出自の理解が、後述する分裂問題を読み解く鍵になります。

のれん分け料も上納金も取らなかったという異例の方針

山岸のもとには「弟子にしてほしい」という志願者が次々と訪れました。理由は本人の人柄に加え、弟子からのれん分け料や上納金を取らなかったという方針にあります。フランチャイズの加盟金や毎月のロイヤリティを前提とする外食産業の常識からすると、極めて異例です。

結果として、修業を終えた弟子たちが各地で独立し、90年代後半以降に大勝軒の店舗数は急激に増えていきます。お茶の水、大勝軒の公式サイトは「約20年間で『暖簾分け』した店は100店を数え、さらには弟子たちが育成した店も合わせると200店を超えるほど」と記しています。

ただしこの方針には副作用もありました。金銭的な契約関係がないということは、味や運営を統制する仕組みも持たないということです。だからこそ店ごとの個性が育った一方で、山岸の死後に系譜をまとめる求心力が失われる下地にもなりました。

2007年の閉店と、100m先での復活

東池袋大勝軒は永遠には続きませんでした。山岸の持病悪化で厨房に立てなくなったこと、そして再開発による立ち退きが重なり、2007年3月、旧東池袋大勝軒は惜しまれつつ閉店します。行列の絶えない店の最後の日には、長い列ができました。

復活は早く、2008年1月5日、創業店から約100m先の場所で東池袋大勝軒 本店として再開します。現在の店を率いるのは二代目店主の飯野敏彦氏。公式サイトでは、滝野川大勝軒の店長時代に40メニュー以上のオリジナルラーメンを発表してきた探究心の持ち主として紹介されています。

「元祖の味は失われた」という言い方を目にすることがありますが、これは正確ではありません。旧店の味を守る系統と、新しい味を試す系統が並行して動いているのが現在の東池袋系です。守るか変えるかを店ごとに選べるのが、契約で縛らない暖簾分けの帰結でもあります。

📌 押さえておきたいポイント
大勝軒は「本部が味を統一するチェーン」ではありません。のれん分け料も上納金も取らない方針が店舗数を一気に増やし、その裏返しとして店ごとの味の幅も広がりました。同じ看板で味が違うのは、劣化ではなく系譜の構造そのものです。

2015年、系譜が二つに割れた日

死去と葬儀をめぐって生まれた不信

2015年4月1日、山岸一雄が80歳で死去します。ラーメン界の象徴を失った直後、系譜を揺るがす出来事が起きました。4月8日の葬儀で、弟子たちが式に招かれず外に立たされ、火葬場の情報も知らされなかったと報じられたのです。

師匠から金銭を介さず技術と姿勢を受け取ってきた弟子たちにとって、葬儀は最後の挨拶の場でした。そこで線を引かれた事実は、単なる行き違い以上の重みを持ちます。ここから、系譜の内部に修復しがたい溝が生まれました。

この経緯を「弟子のわがまま」と単純化する解説も見かけますが、背景には契約に基づかない師弟関係ゆえの脆さがあります。金銭でつながっていない関係は、敬意が欠けた瞬間に一気にほどける。大勝軒の分裂は、その典型例として読むことができます。

「大勝軒 味と心を守る会」の発足と、共同代表の顔ぶれ

不信は行動に変わりました。2015年7月末、のれん会から16人の弟子が離脱し、8月1日に「大勝軒 味と心を守る会」が発足します。発足時の加盟は31店舗でした。

守る会の公式サイトには、設立への想いとして「山岸マスターが亡くなった後、私たちに出来ることを考え、志を同じくする店主で新たに『のれん会』を立ち上げることにしました。この会は、師匠山岸一雄の名を汚さぬよう、心を整え味を究め、そして相互扶助することを目的とします」と記されています。

共同代表として名前が挙がっているのは、栗山卓也氏(くり山)、佐野和氏(静岡大勝軒)、田内川真介氏(お茶の水、大勝軒)の3名。相談役には柴木俊男氏(東池おはこ大勝軒)と成田城健氏(板橋大勝軒なりたや)が就いています。いずれも山岸の教えを直接受けた顔ぶれです。

公式サイトを数えてわかった27店と35店

では、二つの会は現在どれくらいの規模なのでしょうか。両者の公式サイトに掲載されている店舗一覧を実際に数えました(ラーメンもぎ調べ・2026年8月時点)。

東池袋大勝軒公式サイトの大勝軒のれん会 全国加盟店一覧には27店が掲載され、青森から沖縄まで13都府県に及びます。一方、大勝軒 味と心を守る会の参加店舗一覧には35店が並び、東京15店を中心に12都県に広がっています。

数だけを見れば守る会がやや多いものの、注目すべきは両者が並存し、どちらも山岸の味を掲げている点です。どちらかが本物でどちらかが偽物、という構図ではありません。系譜が二つの流れに分かれたまま、それぞれ営業を続けているのが現在の姿です。

⚖️ 大勝軒のれん会と味と心を守る会の違い(ラーメンもぎ調べ・2026年8月時点)
項目 大勝軒のれん会 大勝軒 味と心を守る会
発足 山岸一雄の存命中から 2015年8月1日
公式一覧の掲載店数 27店 35店
掲載エリア 13都府県(青森〜沖縄) 12都県(東京15店が中心)
情報の入口 東池袋大勝軒公式サイト 守る会の独立サイト
座席数の比較チャート(青梅街道大勝軒 杉並 18席・立川大勝軒 24席・武蔵村山大勝軒 60席・小金井大勝軒 74席)
座席数の比較(ラーメンもぎ調べ・各公式サイトより、2026年8月時点)

「どちらの系統か」を見分ける現実的な方法

店頭で系統を判別する方法はシンプルです。まず、店内やサイトに「のれん会」「味と心を守る会」のどちらの名称が出ているかを見ること。会に所属する店は、その表記を掲げていることが多いからです。

次に、公式の店舗一覧に載っているかどうかを事前に確認します。両会とも一覧をウェブ上で公開しているため、訪問前に屋号を照合すれば、その店がどちらの流れにあるのかがわかります。

そして最後に、味の方向で推し量る方法。ただしこれは確実ではありません。会の違いは味の規格の違いではなく、あくまで組織の違いです。「守る会だから元祖の味、のれん会だから違う」という単純な図式は成り立ちません。系統を知ったうえで、店ごとの個性を味わうのが正しい楽しみ方です。

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池袋で直営3店を食べ比べるという贅沢

元祖の看板を背負う東池袋大勝軒 本店

系譜をたどったら、次は実際に食べに行く番です。まず外せないのが、2008年に復活した本店。旧店から約100m先という近さで再開し、山岸マスターの世界観を受け継いでいます。

スープは豚骨を中心に白濁させた動物系に、サバ節や煮干しなどの魚介系素材を重ねてまろやかに仕上げるスタイル。麺は毎日その日のためだけに作る自家製麺で、冷水でしめたしっかりした食感と、つるりとした喉ごしが特徴です。

公式サイトによれば営業はスープがなくなり次第終了。行列店ゆえ、遅い時間の訪問は空振りの可能性があります。定休日は水曜です。

📍 東池袋大勝軒 本店
住所 〒171-0022 東京都豊島区南池袋2-42-8
電話番号 03-3981-9360
営業時間 11:00~22:00(スープなくなり次第終了)
定休日 水曜日
アクセス JR池袋駅東口から徒歩約5分、首都高速ガード下
公式サイト 公式サイト

濃さで選ぶなら滝野川大勝軒

本店から歩ける距離にあるのが滝野川大勝軒。名前のとおり、もとは北区滝野川にあった店で、2015年に豊島区へ移転しました。山岸一雄が最初にのれん分けした直営店として知られています。

味の方向は本店より濃厚寄り。豚骨と魚介の旨味を強く出し、麺の量も多めで、常連の支持が厚い一杯です。二代目店主の飯野敏彦氏が店長を務めていた店でもあり、オリジナルメニューの実験場としての歴史も持っています。

定休日は月曜。本店と定休日が違うため、「本店が休みなら滝野川へ」という回り方が成立します。

📍 滝野川大勝軒
住所 〒170-0013 東京都豊島区東池袋1-32-2 小泉ビル1F
電話番号 03-6914-2070
営業時間 11:00~22:00(スープなくなり次第終了)
定休日 月曜日
公式サイト 公式サイト

シャープな輪郭が持ち味の南池袋店

2003年開業の南池袋店は、池袋駅至近という立地の良さが魅力です。公式サイトの直営店舗一覧にも本店・滝野川と並んで掲載されています。

味わいは、あっさりとした見た目の奥から豚骨と魚介が立ち上がるタイプ。油や塩味が輪郭をはっきりさせ、同じ直営でも本店とは印象が変わります。山岸イズムを受け継ぐボリュームも健在です。

定休日は火曜。つまり池袋エリアの直営3店は、月曜・火曜・水曜と定休日が見事に分かれています。曜日を合わせれば、同じ日に系統の異なる味を並べて確かめることも可能です。

📍 東池袋大勝軒 南池袋店
住所 〒171-0022 東京都豊島区南池袋2-27-16
電話番号 03-5951-2221
営業時間 11:00~22:00(スープなくなり次第終了)
定休日 火曜日
アクセス 池袋駅39出口から徒歩約1分
公式サイト 公式サイト
⚠️ よくある失敗①:定休日をまとめて把握していない
「大勝軒の食べ比べ」を計画して池袋に行き、狙った店が定休日で予定が崩れるパターンです。原因は、直営でも定休日が店ごとに違うこと(本店=水曜、滝野川=月曜、南池袋店=火曜)。対策は、訪問曜日を決めてから公式サイトの直営店舗紹介で3店の定休日を照合し、開いている店から回る順番を組むこと。加えてスープ切れ終了があるため、遅い時間は避けるのが無難です。

東京の外にも伸びた枝と、聖地・志賀高原

横浜駅西口の直営店

直営の枝は東京だけにとどまりません。公式サイトの直営店舗紹介には、横浜駅西口エリアの店舗も掲載されています。池袋まで足を運ばずに直営の味に触れられる選択肢です。

営業スタイルは池袋の3店と同じく、スープがなくなり次第終了。定休日は水曜で、本店と同じ曜日に休みます。神奈川方面から東京の直営店を目指していた人には、こちらの方が近いケースもあるはずです。

直営という言葉は系譜の話では重い意味を持ちます。暖簾分けした弟子の店ではなく、東池袋大勝軒そのものが運営する店という位置づけだからです。

📍 東池袋大勝軒 横濱西口店
住所 〒220-0005 神奈川県横浜市西区南幸2-8-1
電話番号 045-321-3564
営業時間 11:00~22:00(スープなくなり次第終了)
定休日 水曜日
公式サイト 公式サイト

羽田空港で食べられる業務提携店

公式サイトの店舗紹介には、【業務提携】という肩書きで羽田空港内の店舗も並んでいます。直営でも暖簾分けでもない、第三の関係です。

空港店らしく定休日はなく、全席禁煙。出発前や到着後に立ち寄れる立地は、系譜の広がりを象徴しています。旅の途中で元祖系の味に触れられるという点で、貴重な一店です。

ただし業務提携である以上、位置づけは直営とは異なります。公式が掲げる肩書きをそのまま受け取り、直営店と同一視しないのが系譜への礼儀でしょう。

「味を変えるなよ」を守り続けるお茶の水、大勝軒

神田小川町にあるお茶の水、大勝軒は、系譜の中でも特異な位置にいます。店主の田内川真介氏は東池袋にほど近い南大塚で生まれ育ち、少年時代から旧東池袋大勝軒に通う常連でした。

1995年(平成7年)、18歳の大学1年生のときに旧東池袋大勝軒初のアルバイトとして働き始め、大学卒業後はいったん就職。しかし「山岸一雄の味を守りたい」という思いから退職して弟子入りし、2006年(平成18年)9月に自分の店を開きます。開店前に山岸からかけられた言葉が「真介、おまえだけは味を変えるなよ。」でした。

建物改修のため2020年に休業しましたが、2024年7月に営業を再開。17時以降は旧東池袋大勝軒で封印されていたメニューを再現する「復刻版(クラシック)」も提供されます。同店の大勝軒の歴史ページは、丸長から続く系譜を一次情報として公開しており、この記事の年表もそこで確認できます。

📍 お茶の水、大勝軒
住所 〒101-0052 東京都千代田区神田小川町3-1-5 須田ビル 1F
電話番号 03-3291-9933
営業時間 11:00~21:00(17時より復刻版メニューも提供)
定休日 月曜日(月曜が祝日の場合は火曜日)、年始、お盆
公式サイト 公式サイト

山岸の故郷・志賀高原と、白楽で麺を打つ最後の弟子

お茶の水、大勝軒のグループには、長野県山ノ内町の店もあります。公式サイトは「ラーメンの神様、故山岸一雄のふるさとは志賀高原のふもと『山ノ内町』」であり、山ノ内店は大勝軒にとって聖地というべき特別な存在だと説明しています。志賀高原の天然水を使った自家製麺が看板です。

もう一人、忘れてはいけないのが栗山卓也氏。山岸の最後の愛弟子とされ、東池袋大勝軒で約4年間修業したのち六厘舎を経て、2011年に横浜・白楽で自身の店を開きました。山岸から受け継いだ製麺機で麺を打ち続けている職人です。

同店の公式サイトは自らを「旧東池袋大勝軒と旧大崎六厘舎で修行をした店主のお店」と紹介しています。2026年3月には新横浜への新店舗開業も発表されました。屋号に大勝軒の3文字はなくても、系譜は確実に受け継がれています。

🍜 ラーメン通の豆知識
大勝軒の系譜は「大勝軒」の屋号だけを追っても全体像が見えません。守る会の共同代表を務める栗山氏の店のように、別の屋号で山岸の技術と道具を受け継ぐ店が存在するからです。系譜は看板ではなく、製麺機と手の記憶でつながっています。
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郊外で腰を据えて味わう小金井グループの4店

座席74席で待たずに入れる小金井大勝軒

都心の行列が苦手な人に向くのが、小金井大勝軒を軸としたグループです。小金井大勝軒はのれん会の全国加盟店一覧にも掲載されている店で、系譜のうえでも位置づけが明確です。

スープは豚骨・鶏ガラ・魚・野菜の風味をベースにした旨味たっぷりの一杯で、独自製法の醤油ダレでまとめられています。麺はボリュームのあるつるもち食感で、甘酢の酸味によってさっぱり食べられる設計。元祖の思想がそのまま生きています。

価格はグループ公式サイトおよびグルメサイトで確認でき、もりそば780円、特製もりそば980円、大勝軒もりそば1,220円。座席は74席あり、年末年始を除いて年中無休です。

📍 小金井大勝軒
住所 東京都小金井市貫井南町2-16-12
営業時間 11:00~21:00
定休日 年末年始を除く年中無休
アクセス バス停「貫井トンネル下」から徒歩1分
駐車場 あり(約15台)
公式サイト 公式サイト

駅から歩ける立川大勝軒

立川大勝軒は、JR立川駅南口から徒歩3分という立地。座席は24席とコンパクトで、テイクアウトにも対応しています。買い物や乗り換えのついでに寄れる点が強みです。

グループ全体で営業時間と定休日の方針が揃えられているのも特徴で、年末年始を除く年中無休。「日曜だから休みかもしれない」と心配せずに向かえるのは、郊外グループの実用的な価値です。

小金井グループは、東池袋の直営やお茶の水の系統とはまた別の枝にあたります。同じ大勝軒でも運営体制が違うため、味の細部が異なるのは当然のこと。系譜を知っていれば、その違いを「差」ではなく「枝の個性」として楽しめます。

📍 立川大勝軒
住所 東京都立川市錦町2-1-3
営業時間 11:00~21:00
定休日 年末年始を除く年中無休
アクセス JR立川駅南口から徒歩3分
駐車場 なし
公式サイト 公式サイト

車で行ける武蔵村山大勝軒

武蔵村山大勝軒は上北台駅から車で5分の郊外型。座席は60席と広く、グループ内でも収容力があります。多摩地域で家族や仲間と行くならこの店が選択肢に入ります。

広い店内は、行列に並ぶ時間を確保しにくい人にとって現実的な利点です。元祖系のボリュームある一杯を、席の余裕がある環境で味わえます。

都心の名店を巡るのが「系譜の縦の旅」だとすれば、郊外グループを回るのは「系譜の横の旅」。同じ思想がどこまで広がったかを体感できます。

📍 武蔵村山大勝軒
住所 東京都武蔵村山市中央2-128-2
営業時間 11:00~21:00
定休日 年末年始を除く年中無休
アクセス 上北台駅から車で5分
駐車場 あり(約40台)
公式サイト 公式サイト

荻窪という原点の街に立つ青梅街道大勝軒 杉並

見逃せないのが、JR荻窪駅北口から徒歩8分の青梅街道大勝軒 杉並です。荻窪は1948年に丸長が生まれた街。系譜の原点と同じエリアに大勝軒の看板が立っているという構図は、それだけで味わい深いものがあります。

座席は18席とグループ内では小ぶりで、テイクアウトのほかデリバリーにも対応しています。荻窪はラーメン激戦区として知られる街ですから、他店と食べ比べながら系譜を考えるにはうってつけの場所です。

丸長から始まった魚介の思想が、70年以上を経て同じ街の別の店で提供されている──系譜という言葉の意味を、地図の上で実感できる一店です。

📍 青梅街道大勝軒 杉並
住所 東京都杉並区上荻2-42-12
営業時間 11:00~21:00
定休日 年末年始を除く年中無休
アクセス JR荻窪駅北口から徒歩8分
公式サイト 公式サイト
⚠️ よくある失敗②:どの店でも「元祖と同じ味」が出ると思い込む
郊外店や地方店に入り、東池袋の味を期待して肩透かしを食うパターンです。原因は、大勝軒が味を統一するチェーンではなく、暖簾分けと会の枝分かれで構成された系譜であること。対策は、訪問前にその店がどの枝(直営/のれん会/守る会/グループ運営)かを公式一覧で確認し、店ごとの味の方向を前提として受け取ること。系統を知って行けば、違いは失望ではなく発見になります。
📌 シーン別・どの店から行くか
・元祖の空気に触れたい:東池袋大勝軒 本店(水曜定休・スープ切れ終了)
・濃厚な一杯を求める:滝野川大勝軒(月曜定休)
・駅近で短時間に済ませたい:東池袋大勝軒 南池袋店(火曜定休)
・封印メニューまで味わいたい:お茶の水、大勝軒(17時以降の復刻版)
・席の余裕を優先したい:小金井大勝軒・武蔵村山大勝軒

まとめ:系譜を知れば、一杯の背景まで味わえる

🍜 この記事の結論

大勝軒は1948年の丸長から枝分かれし、暖簾分けと2015年の分裂で複数の系統に育った集合体です。行く前に店がどの枝かを公式一覧で確かめましょう。

✅ 要点チェック
  • ✔ 起点:系譜の頂点は丸長、大勝軒はその枝
  • ✔ 発明:特製もりそばは1955年4月に商品化
  • ✔ 構造:本部が味を統一するチェーンではない
  • ✔ 分裂:のれん会と守る会が並存している
  • ✔ 確認:定休日とスープ切れ終了は事前照合

大勝軒の系譜は、ひとりの天才が作った王国の物語ではありません。戦後の荻窪でそば職人がラーメンに出汁の発想を持ち込み、その技術が親戚同士の縁を通じて中野へ渡り、東池袋で「特製もりそば」という形に結晶し、金銭で縛らない暖簾分けによって全国へ散った──人から人へ手渡されてきた記録です。だからこそ店ごとに味が違い、2015年には組織が二つに割れるという痛みも生まれました。最初の一歩としておすすめしたいのは、行きたい店を1軒決めて、その店が直営・のれん会・守る会・グループ運営のどれに属するかを公式サイトで確かめてから向かうこと。系統がわかったうえで食べる一杯は、味の違いがそのまま系譜の物語として立ち上がってきます。カウンターで丼を前にしたとき、その麺が誰の手から誰へ渡ってきたのかを思い浮かべられたら、大勝軒はもっと面白くなります。

なお、営業時間・定休日・価格・店舗の所属は変更されることがあります。訪問前に各店の公式サイトや最新の告知でご確認ください。

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この記事を書いた人

全国各地のラーメンを食べるのが好きなラーメン好き。家系・二郎系から淡麗系まで、ジャンルを問わず全国のラーメンを探求中。実際に足を運んで食べたリアルな感想と、メニューの頼み方・お店の雰囲気まで詳しくレポートしています。

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